ブルース・リーの
映画で永遠に語り継がれるであろう名台詞がある。
Don't Think. Feeeeeeeeeeeeel!
考えるな、感じるんだ! という特にブルース・リーがこぶしをきかせて弟子に行った言葉だ。
「燃えよ、
ドラゴン」という映画だったかな。
個人的には「ドラゴン 怒りの
鉄拳」のほうが好きだ。
考えることは、悩みを引き寄せ、強化させ、泥沼にはまらせる一番愚かしいことだと最近気づいてきた。
考えることで解決することなんか何にもないとわかった。
俺はあがり症で、ある場面になるとヘタレとなってしまう。
今はだいぶ改善されてきているが、考えている自分に気づくことがある。
考えてあがり症を解決しようと勝手に考えてしまっている。
これがどういう悲惨な結果に終わってきたか。
予期不安をさらに増長させ、あがってしまった後は、くよくよとその時のことを考えている。
人間関係でも行き詰まっている時は、相手に対して考えてしまっている。
だからぎこちなくなったし、逆に自分というものを発揮できている時は考えていない。
ただ感じて生きているだけだ!!!!
考えて生きていなくても、五感を持ち合わせている人間は、ちゃんと脳の中で情報を処理しているだろう。
しかし、無駄な思考を積み重ねることをすることで生まれることは、失敗することへの恐怖やどう思われるだろうかという予測、どうすれば危険を回避できるかという不埒な考え、あのときどう思われたか、変に思われただろうかということだけ。
無駄な思考だけだったらまだいい。俺のこれらの思考は、決心を鈍らせ、行動をさせなくなり、いつまでも割り切れない結果に終わっている。
俺の悩みのルーツ分析をすすめていたら、くだらないことばっかりにとらわれている自分に改めて気づいた。
クソくらえだとおもった。
何という自分を追いつめることばっかりしていたのだろうか。
岩波英知さんの言われる「馬鹿になれ」という言葉はこういうことを言っていたのだ
普段から考える自分を徹底的に打ちのめしていくべきだと思った。
どなたかの悩み克服
体験記を読んでいる時に、「結果が出ないことを考えているのは無駄であり、悩む温床になる」という文章があった。
今になってそういうことだったのかと思った。
人間としてさらに成長するためには、考えることを捨てなければいけない。
なぜ考えるかというと自分を守る為なのだ。で、守ることができていない。
(これも人の受け売りだが、まさにそのとおりだ)
危険を予測し、回避することばっかり考えていると、常にどっぷり悩みの思考に使っていることになる。
これこそ危険だ。
神経症というものは、やっぱり自分で作り上げているものだと思う。
自分で追いつめている考えをしていないか気づくことが、悩み解消の第一歩だ。
マイナス思考で考えていると、生まれる思考は、悩みと闇の思考だけだった。
では、プラス思考の人間なら、生み出される思考もプラスだろうか?
そういう人でも考えすぎると、きっと自分を守ろうとする不埒な考えになるだろう。
もう守りの姿勢は嫌だ。つくづく腹が立ってきた。自分にだ。
しかし変な劣等感を持った腹立ちではなく、「やるぞ」という決意が生まれる腹立たしさだ。
モチベーションもか成り上がっている。そういう自分が気持ちいいと感じる。
しかし、ここでまた無駄な思考をしてしまうと、元の木阿弥に戻ることも知っている。
考えていない時の状態ほど気持ちいいものはない。
もし憂鬱な気分の人がいるなら、必ずその人は考えている。
決して結果のでない思考を積み重ねているに過ぎない。
憂鬱は思考が生み出しているのだ。
考えていないときは、憂鬱じゃないのだ。
ここに悩み解決するヒントがあるだろう。